新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

いけすの安心


自身も意識していないと陥るのですが、
色々な取り組みなどを後押しするときに
公平な目線で観ることが難しく感じます。

特に自分がいいなあと思うとき、
その取り組みだけでなく、
人としての感情が入りがちになる。
感情が入り始めると次々と出てくる
取り組みの良し悪しよりも

「○○さんがしていることだから」
「○○さんはさすが良くわかってる」

みたいに取り組みの前に「人」が
出るようになりがちです。

これにブレーキがかからなくなると、
している内容は置き去りになり、

「あの人がしているから」

という理由で取り組みそのものの良し悪しが
決定されるような不可解な事が起こりがちに
なります。

そして知る仲での称賛が始まり外部の事を
軽く見て本質を見極める前に受け入れる
柔軟性を忘れてしまいます。

信じる人、意を知る人はとても大切。
だけど人が人である以上間違いはあります。

その間違いに気づかせる心遣いと
その間違いをしてしまったその人を
受け入れてこそ本物であり、
その間違いを正すことなく、曲がった
受け入れをしたときに、
大海に挑むチャレンジャ-から
いけすを泳ぐ魚のように一時の安心から
衰退の道を辿っていくのです。

何事にも適度な距離感は必要です。

放浪後の一言:安心と油断は紙一重


About the author

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です