「素直に」
同じような話になりますが
利用者さんの本当の楽しみや目的って
いったい何だろうか?と施設を見ていて
スタッフに問いかけたくなります。
塗り絵、計算問題、漢字穴埋めがテーブルに
おいてあり、自ら手に取りしている姿。
「自分でやりたい方がとってくれます」
説明だけ聞いていたらそれはそうなんです。
ただ、それは午前中のお風呂によるフロア
スタッフの少なさから生まれたものであり
自主的というより「仕方なさ」から生まれた
行動のように感じます。
テレビはつけっぱなし、スタッフは何もせず。
結局何にもしないわけにはいかないから
それらを置いている、それしか選択肢が
ないから仕方なくしているようにしか見えず
自主性の捉え方の違いに驚きます。
ラジオ体操や◯◯体操が何回かやっているが
個別ケアとして考える内容はなく、これで
利用者の課題がクリア出来るとは到底思えない
内容。総合的に見たときに感じた違和感は
「スタッフが考えて行う内容がない」
ということでした。
体操は動画。紙媒体は印刷するだけ。
合間にするゲームは時間潰し。とにかく
みんなまとめてやる。
足りないはずのスタッフがしりとりゲームを
するときには司会以外に3人が周りに立ち、
見張るように参加する異様な光景。
人が余っているのになあと思ってしまう。
これらを指摘していくと最初に言われるのが
「利用者さんは喜んでくれてます」
「◯◯をやりたいと進んでしてくれます」
と説明されるのです。
なのでこちらから続けて話すのは、
「他に選択肢が色々あって例えばパン作り、
寄せ植え、水彩画、料理教室などがあり、
それでも塗り絵やちぎり絵を皆が選ぶと
思いますか?」
と問いかけます。すると言われるのは、
「そんなに選択肢を出すことは難しい」
「それをやるには人が沢山必要です」
このように言われる事が多いのです。
出来る、出来ないを問おているのではなく
選択肢の話、それが刷り変わっていく。
これが素直に話を聞こうとするよりも
そんな選択肢が出せるわけがないという
個人的な考えが先行する結果として出てくる
受け答えだということなのです。
そしてこのように応える方の多くは
「やったことがない」
です。つまり自分の推測で話をするのです。
しかしそれは実践をしてきている人から
したら、やりたくない言い訳にしか聞こえ
ないのです。
利用者さんの気持ちになって素直に考えて
みたら自分の推測で応える事などないはず
ですね。出来る、出来ないよりも、、、
人は感情があるから時には素直になるのが
難しいことがあります。
ただ介護サービスが誰のために、どのように
なるために使われるものなのか?を理解
していれば、答えはわかるはずですね。
利用者のためというのだから素直な気持ちで
サービスを見直してあるべき姿に気づいて
ほしいなあと思います。