介護っていったいなんなんでしょうね?
そもそも介護なんて居ないほうが
年寄りはやりたいことできるんじゃね?
てか、間違った介護が年寄りのできることを
どんどん奪っているような気がしてなりません。
介護なんかより放置プレイのほうが
よっぽど年寄りの為になるんじゃね?
てなわけで、本題に入ります。
最近長野に行くことが多くなってきてるので、
リンゴの話を引っ張りだしたいと思います(笑)
リンゴをあるご家族からいただいたので。
そのおばあさんの目の前に、りんごと
包丁とまな板を置いてみました。
もちろんここから僕は手を出しません。
だって僕がもらったわけじゃないし~。
食べるのは僕じゃないし~。
まさに放置プレイです!
待つこと10分…。
…。
なんとリンゴに手を出さないんです…。
包丁を持たないんですよ!
目の前に真っ赤なりんごがあるのに…。
食べようとしてくれないんです!
包丁がダメならかぶりつこうよ~。
他の年寄りに頼んでみようよ~。
職員のとこ持ってきて『剥けよ、お前ら』って言ってよ~。
食べれないんなら『実はりんご嫌い』って強がってよ~。
たぶん。
やりかたが思い出せないんでしょうね。
今まで全然やってこなかったから。
てか、介護が手を出しすぎてたから。
やる必要のない環境に暮らしてるから。
リンゴを目の前に固まっているおばあさん。
別に僕が剥いてもいいんだけどね…。
今回は『そうはしたくない』衝動になり…。
だってここで折れて、僕がリンゴを剥いた日にゃ
おばあさんは2度と包丁を持ってくれないかも。
なので僕は『リンゴの唄』を歌いました。
そしてリンゴを手に取り、唇をよせて
『リンゴ~かわ~いや、かわいやリ~ンゴ~』
と歌いながら、何もなかったかのように
そのリンゴを奪って、逃走してやりました。
介護短歌
できぬこと
介護がすれば
楽だけど
すればするほど
衰えていく
食べさせないなんて可哀想!
包丁をテーブルに置くなんて危険よ!
って言われそうですが…。
食べさせないのが可哀想だの
包丁を持たせるなんて危険だの
言う前にちょっと考えてください。
今までできていたことを忘れるってどういうこと?
本当にできなくなったのならまだしも
そのできていたことを奪ったのは何?
昔は普通にやってきただろう行為、
包丁を握れなくなったことのほうが
僕はよっぽど危険な状態に思えます。
だって、それだけ『ボケた』ってことだもん。
じゃあそこまでボケさせたのは誰?
認知症が進行したから仕方ないで済ませますか?
僕が思うに。
生活らしい生活をさせてこなかったから。
介護っていう存在がその生活を奪ってるから。
そう。介護のせいでもあるんです!
放置プレイは立派な介護技術になりえます。
だって今までの介護は手を出しすぎだもん。
私がやりますよ~と、手厚い援助。
危険だからと、立たせない歩かせない。
衛生面があるからと、食事は給食状態。
事故があったら大変と、やることなすこと制限して。
安全な生活をと、お年寄りたちの主体性を奪っていく…。
こんな介護が正しいって思いますか?
てか、これが『生活してる』って言えますか?
こっちが手を出してしまえば簡単なことですが
それが『生活らしい生活』を奪うことになると
すれば、考え直さなきゃいけないと思います。
さて。
おばあさんは果たしてリンゴを
食べることができたのでしょうか?
この話は次回に…。