新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

放置プレイ


介護っていったいなんなんでしょうね?

そもそも介護なんて居ないほうが
年寄りはやりたいことできるんじゃね?

てか、間違った介護が年寄りのできることを
どんどん奪っているような気がしてなりません。

介護なんかより放置プレイのほうが
よっぽど年寄りの為になるんじゃね?

てなわけで、本題に入ります。

最近長野に行くことが多くなってきてるので、
リンゴの話を引っ張りだしたいと思います(笑)
 

リンゴをあるご家族からいただいたので。

そのおばあさんの目の前に、りんごと
包丁とまな板を置いてみました。

もちろんここから僕は手を出しません。

だって僕がもらったわけじゃないし~。

食べるのは僕じゃないし~。

まさに放置プレイです!
 

待つこと10分…。

…。
 

なんとリンゴに手を出さないんです…。

包丁を持たないんですよ!

目の前に真っ赤なりんごがあるのに…。

食べようとしてくれないんです!
 

包丁がダメならかぶりつこうよ~。

他の年寄りに頼んでみようよ~。

職員のとこ持ってきて『剥けよ、お前ら』って言ってよ~。

食べれないんなら『実はりんご嫌い』って強がってよ~。
 

たぶん。

やりかたが思い出せないんでしょうね。

今まで全然やってこなかったから。
てか、介護が手を出しすぎてたから。
やる必要のない環境に暮らしてるから。

 

リンゴを目の前に固まっているおばあさん。

別に僕が剥いてもいいんだけどね…。
今回は『そうはしたくない』衝動になり…。

だってここで折れて、僕がリンゴを剥いた日にゃ
おばあさんは2度と包丁を持ってくれないかも。
 

なので僕は『リンゴの唄』を歌いました。

そしてリンゴを手に取り、唇をよせて
『リンゴ~かわ~いや、かわいやリ~ンゴ~』
と歌いながら、何もなかったかのように
そのリンゴを奪って、逃走してやりました。
 

介護短歌

できぬこと
介護がすれば
楽だけど
すればするほど
衰えていく
 

食べさせないなんて可哀想!

包丁をテーブルに置くなんて危険よ!

って言われそうですが…。

食べさせないのが可哀想だの
包丁を持たせるなんて危険だの
言う前にちょっと考えてください。

今までできていたことを忘れるってどういうこと?

本当にできなくなったのならまだしも
そのできていたことを奪ったのは何?

昔は普通にやってきただろう行為、
包丁を握れなくなったことのほうが
僕はよっぽど危険な状態に思えます。

だって、それだけ『ボケた』ってことだもん。

じゃあそこまでボケさせたのは誰?

認知症が進行したから仕方ないで済ませますか?
 

僕が思うに。

生活らしい生活をさせてこなかったから。
介護っていう存在がその生活を奪ってるから。

そう。介護のせいでもあるんです!

放置プレイは立派な介護技術になりえます。
だって今までの介護は手を出しすぎだもん。
 

私がやりますよ~と、手厚い援助。

危険だからと、立たせない歩かせない。

衛生面があるからと、食事は給食状態。

事故があったら大変と、やることなすこと制限して。

安全な生活をと、お年寄りたちの主体性を奪っていく…。
 

こんな介護が正しいって思いますか?
てか、これが『生活してる』って言えますか?

こっちが手を出してしまえば簡単なことですが
それが『生活らしい生活』を奪うことになると
すれば、考え直さなきゃいけないと思います。
 

さて。

おばあさんは果たしてリンゴを
食べることができたのでしょうか?

この話は次回に…。


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