新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

本末転倒


『同性介護』『相性介護』

 

前回・前々回の話で触れてみたが
もう少しつっこんで話してみたい。

 

なぜなら、同性介護・相性介護を推進することで
介護の質が落ちていきそうな気がしてしまうから。

 

同性介護を推進する動きを
否定するつもりはないが…
(むしろ肯定しています、はい)

 

今回はあえてそこに疑問を投げかけたい。

 

今まで、相手のプライバシーを
全然守ってこなかったのか?

 

僕たちは異性に対し、トイレや入浴の介助に
細心の気遣いをもって接してきただろうか?

 

相性介護でいうならば、合わない人でも
通いつめる中で関係を構築してこなかったか?

 

理由を探り、工夫し、関わってこなかったのか?

 

今はユニットケアが主流になってるが
そもそも大部屋時代にもその人個人の
プライバシーを守ろうとしてきたのか?

 

大多数の利用者がいながらも
個別に見ようとしていたのか?

 

同性介護、相性介護。
ついでにユニットケア。

そのような動きをしていることは
非常に素敵なことだと思う。

 

だが、残念なのはそういう動きになることで

従来の努力を忘れる可能性があるということ。
してない努力もまだたくさんあるということ。

 

その人の思いを察して、その人の為にと懸命に
動いてきた介護力が本来は大切だというのに
今は環境のほうが先に整いつつあるではないか。

 

必要な手段の一つとして
同性介護や相性介護という
介護方法があるというのに、
それ自体が目的化されてしまうと
暴走を生んでしまうのではないか。

 

同性介護さえすれば、相手にとって
恥ずかしくないってわけじゃない。

 

相性介護で、他の人に変わってもらえば
いいやって簡単に考えてほしくはない。

 

同性介護をしながらも失礼な人がたくさんいる。
ユニットケアでも個々が見れない人だっている。
相性の悪さを年寄りだけのせいにしてる人もいる。

 

これじゃ本末転倒じゃないか。

 

誤解しないでほしいのは
環境が整うことの否定ではない。

 

いい環境や方法ができていくのは
僕たち介護が頑張ってきた証である。

 

言わば環境や方法が整っていくのは
正当な介護力があるからこそなのだ。

 

それを同性介護や相性介護という
環境面ばかりの視点で見てしまうと
介護力の向上を妨げかねない。

 

それは単なる他力本願ではないか。

 

良い介護ができないから
環境を整えるのではない。

環境が悪いから良い介護が
できないわけじゃない。

 

それじゃ環境のせいにして
努力を忘れているではないか。

 

同性介護や相性介護は
手段の一つにしかすぎない。

入居者ひとりひとりの
気持ちを尊重する一つの
方法論でしかないのだ。

 

専門性があってこその環境や方法の整備。
同性介護・相性介護が磨かれた技術の中で
もっと良い介護がしたいからこそ生まれる
新しい手法や一歩進んだアイディアとして
存在してるってことが大切なのではないか。

 

介護短歌

方法や
環境面を
言う前に
問われるべきは
介護力かな

 

結局は同じことになってんじゃんって言われれば
それまでだけど、その気持ちがあるかないかで
介護の力はまったく違うものになると思います。


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