新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

尿意・便意ってホントに失われるの?


年を取ると果たして尿意・便意を失うのか?
僕はそう簡単に失うものではないと思う。
 

じゃあなんで失禁があるのだろうか?
尿意便意があるという前提で考えてみたい。
 

①尿意便意の感覚が何なのか分からない。

頭に張り詰めた感覚が伝わっても、それが尿意だと
正確に判断できないため、切迫感だけを感じてしまう。
 

②尿意便意を感じても、どうしていいのかが分からない。

尿意便意が襲ってきても、トイレに行って排泄するって
いう思いには至らない。どうしていいか分からなくなる。
 

③尿意便意が分かって排泄の判断があっても自分じゃ無理。

トイレの場所が分からなかったり、自分の能力では
行けなかったりと自身の力だけではどうにもならない。
 

④諦めている

尿意便意があっても、トイレに行けないことが
分かっているからその気持ちを封印している。
 

⑤尿道・肛門括約筋のゆるみ

生きてる間ずっと緊張しつづけている筋肉。老化や
病気などで、尿意を催す前にゆるむことだってある。
 

以上を踏まえれば、尿意便意があっても
失禁するのは当然のことではないか。
 

失禁するから、尿意・便意がないってことじゃない。
 

失禁のほとんどは、僕たち介護がサインを見落としたり、
適切なトイレ誘導をしなかったりするのが原因なのだ。
 

失禁の原因の一端に介護する側の
援助不足があることを忘れてはならない。

 

僕たちがすべきことは失禁の理由はどれなのかを
考えて、尿意便意のサインを本人の代わりに察知し
持っている介護技術でトイレに連れていくこと。
 

要はお年寄りの
【分からない】
【間に合わない】
【どうにもならない】
【諦めざるをえない】
部分をどう援助するか。

 

そんな綺麗事を言っても、失禁することはある。
もしくはどうしてもオムツって人も現場にはいる。
 

でも、尿意便意はあるはず。いや、あるかも…。
(熱く話してると逆に自信がなくなるけど…)
 

とにかく、僕たちがその可能性を信じなければ
トイレに連れていかないのが当たり前になって
平気でオムツを当てて、するのは後始末だけ。
 

それじゃあまりにも悲しい。
 

ごく当たり前にしてきた排泄行為を
最も尊重すべきプライバシーの部分を
僕たち介護はもっと尊重すべきなのだ。
 

介護短歌

正確な
行動できぬ
尿・便意
そこを察知し
トイレへ誘導
 

トイレに行きたくても行けない虚しさを
トイレに行きたいかも分からない切なさを
そして、トイレで排泄できない屈辱感を
僕たちはしっかりと感じ取るべきです。


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