新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

立てないおばあさん


前に勤めていた特養ユニットの話。

隣のユニットに入居したおばあさん。

入居してから1ヶ月ちょいたったのだが
認知症の進行がかなり激しいとのことで。

入居時はなんとか意思疏通ができてたが
日が経つにつれ、こちらの言うことが
分からなくなってきていると言う。

家族は『月に1回くらいは自宅に泊まらせたい』って希望があり
そのためには歩いたり、トイレに通えたりって状態を期待している。

一方、職員はひいひい言ってる状態である。

そりゃそうだ。

立たせようにも立たない。
歩かせようにも歩かないんだから。

でも、家族の希望ならと、職員は必死に頑張っている。
一人でするのが無理だから二人で介助している状態。

トイレは一人が無理に立たせ、もう一人がズボンを下ろす。
立たないもんだから、強引にするより他ならないのである。

歩くときは二人が両サイドを固め、脇を抱え連行状態。

脇を必死に抱えるもんだから、
足は着いてんだか着いてないんだか。
エアウォーキングしちゃってる。

こりゃやばいよ。

よかれと思ってやっている立たせる行為と
歩かせる行為に、肝心な本人の主体性が
ないがために、本人の気持ちを無視して
トイレ誘導やら歩行訓練をしちゃってる。

まさに主体性の崩壊の瞬間である。

言っちゃ悪いが、認知症を促進しているのは
こういった職員の強引な対応なのである。

でも。こういう職員の対応も仕方ないことだと思う。

だって『立たない、歩けない』って思っていながらも
『立たせなきゃ、歩かせなきゃ』って思ってるんだもの。

そんなある日、隣のユニットにお手伝いに行く機会が。

職員皆が『この人、ホント立たなくなって…』って
口を揃えて言う。一方僕は分からないもんだから
『いや、立つと思うんですけどねぇ』と言ってみる。

【知らぬが仏】とはこのことか。

で、トイレ介助の方法を見せてもらった。

【車椅子の方のトイレ誘導】、教科書に書いてある
マニュアル通り、トイレの近くに車椅子を寄せて、
一人が前から抱え、おばあさんを立たせようとする。

が、当のおばあさんは腰が引けてて、なんとか立っても
便座が目の前にあるもんだからすぐ腰を下ろそうとする。

そこでもう一人の職員がすかさず、まだ座らせまいと
ズボンの後ろを引っ張り、腰を上げさせようとしている。

これじゃホント職員もおばあさんも大変である。

おばあさんは今すぐにでも座りたいって思ってるのに
職員はちゃんと腰を上げようと必死になってるんだから。

僕は発想の転換をすすめた。

『まず「この人は立てる」って思うことにしましょう。
そう信じ込んで、トイレから離しちゃいましょう。
んで、歩いてトイレ行けばいいじゃないっすか』

僕はあえて、トイレから距離を離したところに
車椅子のおばあさんをお連れし、聞いてみる。

『あそこにトイレがあるの分かります?』

『ああ、トイレだねぇ』

『ちょっと行ってみましょう、でも歩けますか?』

『お前さんは俺をからかってるのか?』

きた~!これぞ認知症パワー!
自分が立てないなんて思ってない。
自分はまだ歩けるって思っているのだ。
この気持ちを活かしてやろうじゃないか。

おばあさんは自ら前のめりになり、腰を浮かす。
そこで僕は手を引き、本人が立つのをお手伝い。

おばあさんはすぅ~って立つ。足取りはおぼつかないものの
一歩また一歩と前に進み、自分の足でトイレを目指していく。

見ていた職員は目から鱗である。
立たないおばあさんが歩いてるんだもの。

トイレにたどり着く頃には、自分なりのコツをつかみ
おばあさんはある程度、立位が安定した状態に。

これぞ歩行訓練を兼ねたトイレ誘導!
一石二鳥である。いや、職員は二人も
必要ないんだから、一石三鳥かな。
いやいや、これを積み重ねていけば
そのメリットは計り知れないものとなる。

だって月1で外泊できるんだもの。
家族の元に帰ることができるんだもの。

何より、その間だけでもいなくなれば
僕たちだって楽ができるじゃないか。

いっそもっと元気にして、週に1回でも
外泊に行ってもらいたいくらいである。
(こういうこと言っちゃダメなんだろな…)

介護短歌

立たないと
思えば立たなく
なるもので
立つと思えば
立てるものなり

職員が『立てない』って思った瞬間に
そのお年寄りは立てなくなります。

介助は強引になり、必要以上に手を加える。
お年寄りは何がなんだか分からないもんだから
抵抗やら拒絶反応を起こし、もっと立たなくなる。
で、職員の介助はもっと強引になっていき…。

悪循環です。

僕たち介護は『立たせるのが仕事』ではない。
まずは『立つ気持ちに持っていく』ことが先決で
その為に様々な工夫をしながら援助をしていく。

できることを導き出してあげるのが僕たちの役目。

強引な介護はお年寄りの主体性を崩壊します。
すぐにその人のやる気が失われていきます。
やる気を失ったお年寄りは表情を失っていき、
表情を失った人はすべて受身になるのです。
正直重たいです。僕たちは腰痛になります…。

僕たちがそういうお年寄りを作り上げちゃダメなんです。
いいことなんてありません。今すぐ発想を転換しましょう。

あなたが『立てない』と思っているお年寄りの中にも
立てる人はいる。まだ立てるって思っている人がいる。

心の声を聞きましょう。その気持ちを引き出してあげましょう。
僕たちの援助で、できることをちゃんとさせてあげましょう。

何より。できることを信じてあげましょう。


About the author