新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

老いに向き合う、介護に向き合う


前回の話『もしも自分が年寄りになったら…』の続き。

不本意ながら自分で自分のことが徐々にできなくなり
人の世話にならなければいけない心と体になったとき。

あなただったらどう生きますか?
そんな状態になるくらいなら
死んだ方がマシって思いますか?
なってみなきゃ分からないって
他人事に思ってはいませんか?

今僕たちの目の前にいるお年寄りはその状態に
折り合いをつけて、今もなお懸命に生きています。
不本意ながらその事実を受け止め生きているのです。

それがどういう意味だか分かりますか?

実際は不本意でありながらも、生きるために
僕たち介護を必要としてくださっているのです。

本当は自分のことは自分でやりたいだろうに
世話になることに折り合いをつけているのです。

その気持ちを深く心に刻めば介護は変わります。

介護されることに折り合いをつけようとしているのです。
僕たち介護に向き合おうとしてくださっているのです。
僕たちを信じているからこそ受け入れられるのです。

こちらも誠心誠意、向き合うべきじゃないですか?

お年寄りは僕たちのことを信じています。
実に光栄なことだとは思いませんか?
むしろお礼を言うのはこちらのほうです。

『ありがとうございます』って言葉を出していきませんか?

人に頼るってことはプライドが傷つくもの。
そういった気持ちが少しでも軽くなるように
僕たちは敬意を表して接するべきなのです。

言葉遣いは自然と丁寧になるはずじゃないですか?

自分のことが自分でできない…。その事実に
折り合いをつけるのは容易なことではありません。
では、それが本当にできないことなのでしょうか。

一緒にできることを見つけたくなりませんか?

とはいえ、自分一人では上手にできないときが
あります。本当はやりたいはずなのに、一人じゃ
できないことで、諦めているのかもしれません。

手を添えて、できることへと変えていきませんか?

どう頑張っても本当にできないこともあります。
できない部分の強制は単なる『いじめ』です。
無理強いせず、他の視点に切り替えましょう。

できないことを責めることなく支えるべきじゃないですか?

老いは誰にでも訪れるもの。

老いの現実ばかりに囚われるのではなく、
僕たち介護がクローズアップすべきは
老いというものに折り合いをつけている
その人自身の生き様ではないでしょうか。

介護短歌

老いという
事実に向き合う
年寄りに
誠心誠意の
介護で向き合う

いまだに言葉遣いや接遇に問題があったり、お年寄りの
できること・できないことの見極めにブレが生じるのは
【介護をしてやってる感】があるからではないでしょうか。

老いは本人にとっても不本意なことだってこと
その現実を受け入れるのは容易ではないこと
それでもなお折り合いをつけようしていること…

そんな思いを敏感に感じ取れば、
自然と【介護をさせていただく】
という気持ちになっていくはずです。


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