もしも自分が年寄りになったら。
あなたは人の世話になりたいですか?
自分のことを他人にしてもらいたいですか?
家族や他人に迷惑かけてまで生きたいと思いますか?
僕だけじゃなく、きっとほとんどの人が
なるべくなら、人の世話になることなく
できるかぎり自分のことは自分で…って
思っていることだろう。家族に迷惑かける
なんてトンデモない話ではないだろうか。
でも、その願いとは裏腹に
老いや認知症はやってきます。
人の世話にならなきゃいけない心や体に
なってしまう可能性があるってことです。
なりたくてなるわけじゃない。
ならないように予防すれば
ならないってもんじゃない。
今あなたが関わっているお年寄りもまた
『最期まで自分のことは自分でやり
できることなら、周りの人たちに
惜しまれながらポックリ逝きたい』
と、願っていたはずなのに、その思いとは
裏腹に、自分のことができなくなったのです。
年を取ったら施設に行こうっと♪
要介護度3くらいがちょうどいいかなぁ!?
おしっこ行けなくてもオムツがあるからいいよね?
普通のお風呂入れなくても特浴で入れてもらえるし!
年寄りなんだもん、家族に迷惑かけちゃえ~。
なんて思ってはいなかったのである。
そう願ってきた人なんていないのだ。
一方、僕たち介護はどうでしょうか?
自分が年取ったら人の世話にはなりたくないなぁ…って思ってるのに、
僕たちは当たり前のように「施しのようなお世話」を提供していないだろうか。
自分だったらこんな施設に入りたくない!って思ってるっていうのに、
僕たちは相手の葛藤に目も向けず「日々の業務」をこなしていないだろうか。
「もしも自分だったら、こんな生き方は嫌だよね…」
って思いつつ「そういう生き方」をさせていないだろうか。
介護短歌
年を取り
望まぬ体に
なったとき
誰を求め
何を望むか
こんな現状じゃ僕たちが年を取ったら不安である。
だって僕たちが望む介護はしてくれないってことだもん!
僕たちが年を取ったとき、今の僕たちみたいな介護を
されてしまった日にゃ大変だ!って思いませんか?
今は当たり前のことを当たり前にできるあなた自身が
老いや認知症の当事者となってしまったとき…
その思いとは裏腹に、当たり前のことができない
それができづらい心と体になってしまうんです。
これは他人事じゃないんです。
『もしもそういう立場になったら…。』
老いや認知症に携わるにあたり
この気持ちが、僕たち介護職の
大切な視点ではないでしょうか。
ところであなたは、施設でお世話に
ならなきゃいけない体になったとき…
【今の自分のような介護さん】を望みますか?
自分の将来を今の自分に委ねることができますか?