新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

どうして欠けているものにばかり意識がいくのかな?

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初めての人間関係は親子関係からはじまります。

 

人は生まれて初めて出会う 両親との関係性が

この世界で初めて学ぶ 人間関係です。

(勿論、親ではない学びの関係性もありますが)

親という絶対的に安心な存在である安全基地を中心として

その信頼感情を支えに、親子という二者関係に留まらず

【愛着】の対象を広げるようになるのです。

 

【愛着】とは

簡単に言えば、他の人間と親密な関係を作ろうとする

人なつっこさのことでこの人がそばにいてくれたら安心できる】

と根拠なく思い込める力のことです。

 

マズローの自己実現理論においても「基本的信頼感」

乳幼児に獲得することは、将来 自己実現に向かうための

第1歩であると位置つけられています。

 

いくつになってもどこかで、ふと

自分を信じきれなくて不安になることはありませんか?

誰かの言葉や行動を信じられなくなることはありませんか?

 

たった一人でいいから

自分を分かってくれる人がいればいい

たった一人でいいから

自分を認めてくれる人がいればいい

そんなことを真剣に思うことがありませんか?

職場でも

友人関係でも

コミュニティでも

家庭の中でさえも・・・

 

実は、誰かに求めるその気持ちが

自分を苦しめていることに氣づいているでしょうか。(;^ω^A

 

例えば 自分の過去を振り返ってみると

今でも完全には 埋められない寂しさを感じていた幼少期

 

氣づいたら

弟がいて

妹が生まれて

両親は若すぎて

毎日忙しすぎて

幼い精神状態では気持ちに余裕がなくて

長時間肉体労働の毎日の生活に

身体も気持ちも疲労困憊で余裕がなくて

日々、その時を生きることで一生懸命で精一杯だった。

そんな両親の苦労も 今だからこそ、

想いを馳せて感じることが出来るようになりました。

 

以前の私といえば、随分ひとりよがりの考えで

どうせ私は愛されていなかった。。。

そんな思い込みが頭の中に満タン詰め込まれていたし、

自分がその思い込みを誰よりも信じていました。

 

5、6歳の頃には既に、弟と2人で2階に寝せられてました。

両親は生まれたばかりの妹と1階の真下の部屋で眠っていて、

それは多分、妹が小学生までの間12年間ずーと。

両親の隣に布団を並べて、眠っていたのです。zzz

 

妹は、とても穏やかで気持ちが安定していて

優しそうでいて、芯はしっかりしています。

東京で一人暮らしをしていた十数年の間

それなりに辛いことがあった時にも

一度も田舎に帰りたいとは思わなかったそうです。

 

それに比べて私と来たら

両親に対しての不平不満は山ほどあるに

何か辛いことや困ったことがあると

結局いつの間にか頼っていたり

助けてもらってばかりでした。

 

強がりばかりで精神状態はグラグラでしたね。。。ショボーン

 

まぁそうなったのは、それなりにいろいろあって

それひとつだけが理由じゃありませんけどショボーン

 

思い出したくない位寂しかった。

今でも記憶を辿ると寂しくなっちゃう

羨ましくて、妬ましくって、妹に対していつも嫉妬してた。

当時は意地悪したかもしれないなぁ~プンプン

都合の悪いことは忘れたり

記憶をすり替えたりしてるかもしれない。

多分、自分に都合良く被害者ぶってね(笑)

結構 粘着質タイプだし(笑)

そして、幼稚でしたね。。。

 

愛してもらえなかった。

満たされなかったという歪んだ思い込みは

ん~ 正確に表現すると、

自分がして欲しかった愛情表現をしてもらえなかった

寂しさをずーと抱え 長い年月を越えて今度は

自分が子供を持った時、二人の我が子に挟まれ

憧れ続けた親子で”川の字になって眠る”

という念願だった夢を叶えてもらいました。義理チョコ

 

嬉しかったなぁ

幸せだったなぁ

辛い時にも

悲しいことがあったときも

怒った後で、子供の寝顔を見ながら涙がこぼれたり

怒濤のように疲れ果てて眠るときも

悩み苦しみもがいて眠れないときも

ただ、側にいてくれた子供達。

どんな時にも必ず、一緒に眠れること

どんな時にも、側でぬくもりを感じられ事が

子供達よりずっ~と幼かった私の心にとって

何より大事な心の安定剤でした。義理チョコ

 

 

そして、また月日は流れ

子供は子供の人生を生きはじめ巣立って行きました。

 

娘さんを持ったことがある方は多少なりとも

似たような体験をしてこられたのかと思いますが

娘をまるで自分の所有物でもあるかのように自分と重ねてしまい

いつまでも自分の幼い子供の感情の手当をさせてしまっていました。

 

娘と離れて暮らすようになって、もう7年になります。

未だに子離れ出来ていないところがあります。ショボーン

 

自分の20代の頃とはまるで真逆の人生を生き

早くから自分のやりたい夢を見つけて

コツコツ、一歩ずつ堅実に一生懸命頑張って

チャンスを掴み、夢を次々叶えて頑張っている娘

 

 

 

何度か悲しい想いを味わった私だから、余計に

初めて子供を持てた喜びは表現できないほどの

人生最幸の喜びでした音譜(≧▽≦)音譜

 

 

自分で言うのも何ですが・・・

 

 

可愛がって愛情いっぱい込めて育てました。

 

表現は間違っていたこともあったけど

時に重過ぎて、うざ過ぎて、我慢させ過ぎて

娘の個性を潰してしまった日もありましたが。。

 

自分のことは一切後回しにして(コレがウザい!)

そして、分かっちゃいるけど止められない(^^;

娘も愛されていることはいつも感じてくれていました。

だからこそ、自我を表現するために嵐の時期も必要でした。

そんな事も全部、ぜんぶを越えて今の幸せがあるのです。

 

最近は、順風満帆、充実しているようで

益々、母の存在は忘れられています。

いいんです。

これで当たり前だから。

むしろ、喜ばしいことなのに。。。

 

またしても、、、寂しいんです汗

 

つれなくされると益々氣になります。(笑)

 

常に一緒に暮らしている息子に対しては

毎日 帰ってくるのが当たり前。

そんなに、心配も気になるっていうこともありません。

 

どうして、満たされない気持ちにばかり

意識が向くのでしょうか。:゚(。ノω\。)゚・。 ウワァーン

 

なーんてこと、皆さんにも心あたりありませんか?

 

 

 

それはね・・・

脳の特性だから仕方ないんです。

大概の人は、満たされていることよりも

欠けていることに、意識が向くという特性があるから。

ついつい私のように自虐的になってしまうかもしれないけど

これは脳が持つ特性のなせる仕業。

だから、自分を責める必要なんて全然ないんですよウインク

 

例えば、簡単にできてしまう仕事とか

何の苦痛もなくやっている大好きな趣味とか

「凄いね」って言われても

「何が?」って感じで分からない。

それなのに、人がやっていることは

「凄いね~」と人のできることには氣づいたりします。

 

欠けている部分に目がいくのは人間の脳の特性です。

「ないない思考」になるのがむしろ普通の事なのです。

それは、完璧な○と一部が欠けたCでは

どちらに意識が向くのでしょうか?

多くの人が欠けたCに意識が向くはず

どうしても欠けた部分、足りない部分が

気になり目がいくはずなのです。

これは人間の脳の特性なので仕方ないのです。

 

脳科学的な視点でみても、脳の「視覚野」と呼ばれる部分の

情報処理によって「欠けた部分を補おうとする」ので

人間は自然と欠けに注目するようになるのだそうです。

 

如何ですか。

少し安心しましたか(^w^)!?

 

 

 

だ・か・ら

自分を責める必要も、誰かのせいにすることもないのですョ。

どうぞ、ご安心くださいねーーー∩(´∀`)∩ワァイ♪

 

必要な方へ届きますように💐  

 

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