義母を看取って①「未練が残る生き方」 Tweet 先月、義母が亡くなりました。 最期まで生きることをあきらめず、会話がしにくくなっても「ありがとう」という言葉だけは何度も何度も繰り返していた、強く優しい義母の生き方が教えてくれたことは数知れません。 これから、義母を看取って思ったこと、考えたこと、伝えたいこと、何回かに渡って綴っていきたいと思います。 久しぶりのブログ更新、少し重たい内容となりますが、しばらくお付き合いください。 昨年の初夏に、義母にがんが見つかりましたが、その時点で積極的な治療はできない状態で、予後数カ月単位と言われました。いわゆる余命宣告でした。私自身、がんの経験者で、今やがんと共に生きる日常を過ごしており、誰かががんになったと聞いても驚くことはなくなっていました。それでも家族が末期のがんだと知った時の絶望と、かすかな希望の入り混じった、言葉にならない困惑と平静を保とうとふんばろうとする感情は、自分ががんになった時とは似て非なる、とても重いものでした。周りは寄り添うことしかできない、共にいるというそれだけでいい、と頭ではわかってはいても、何かしないではいられない。どうするのがベストかという正解はなく、寄り添うと言っても、どんな寄り添い方が義母にとって良いのか、義母が求めていることなのか、わからないのです。でも、とにかく時間がない。思いついたこと、何でもしよう、と決めました。 義母は心優しい人なので、何をやっても喜んでくれました。がん告知された年に迎えた80歳のお祝いに私が作った、ケチャップで80才と書いたオムライス。 誕生日をお祝いできることの意味はこれまでとは違っていました。重みが違うのです。それなのに、オムライス・・・。40半ばの嫁が作ったこの祝い膳に、心の中で苦笑いしつつも、喜んでくれ、義父と共に笑顔で写真に納まってくれました。 そして、今年の誕生日は義父との結婚60周年のお祝いも兼ねて、新潟市西区の洋菓子店、ガトーシェフさんで、特別なケーキを作っていただきました。 結婚60周年はダイアモンド婚。60年間も結婚しているというのは、それだけですごいこと。この特別な日のお祝いができたことは、本当に、本当に嬉しかったのです。調子に乗って、義父母には人生初のケーキカットまでしてもらいました。照れくさそうにしながらも、二人とも笑顔でした。 でも、それからわずか1週間後、体調が悪くなり、入院。 最期の入院となってしまいました。 結婚60周年のお祝いに一緒に温泉旅行に行きたかったし、孫が千葉に開いたカフェにも連れて行きたかったし、義母の故郷である十日町の町を一緒に着物を着て歩いたりもしたかった。よく作ってくれた美味しい手料理も、食べるだけじゃなくてちゃんと作り方を教えてもらえばよかった。もっと昔の話も聞きたかったな・・・。 挙げればきりがありません。 そんなことを考えると、寂しさがつのるだけなのですが、一方で、こんな風に一緒にもっといろんなところに行って、いろんなことをしたかったと思える関係を持てたことは、とても幸せなこと、と感謝の気持ちでいっぱいにもなります。 これが「未練が残る生き方」なのかな? 一緒に「がんのち晴れ」を書いた、伊勢みずほさんの言葉、あらためてかみしめています。 Tweet About the author 五十嵐 紀子 未来の介護福祉士が現場実習で学んだこと、教室で学んでいることのあれこれを、コミュニケーション研究者がつづります。介護の世界は驚き・感動・発見もりだくさんのワンダーランド。介護におけるコミュニケーションの難しさとおもしろさ、介護職のカッコよさを伝えます! View all posts by 五十嵐 紀子
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