しばらくぶりのブログ更新です。学生の海外研修引率で国外にいたら、ブログ編集画面にアクセスできず・・・
書きためたものを、これからちょこちょこ出していきます。
今回は「見られる」ということについての最終回
「非日常の場で見られる」ということについての投稿です。
私事ですが、2008年の秋、乳がんがみつかりました。
36歳のときです
(逆算しないように~笑)
なんの心の準備もなく、おかしいな、と思って受診したところ突然のがん告知。
前向きにね、とか、○○も治ったから大丈夫だよ、といった励ましの言葉が辛かったり、若いのにかわいそうに、といったまなざしから逃げたくて、がんであること、治療をしていることはずーーっと7年間黙っていました。
でも、殻に閉じこもっているのにいい加減飽きてきたというか、がんと共に生きていることが日常になって、隠すことはどうでもよくなりかけていた時、同じく36歳で乳がんの治療をしていたフリーアナウンサーの伊勢みずほさんと「がん友」になりました。出会って間もなく、一緒に「“がん”のち、晴れ~キャンサーギフトという生き方」を出版することになり、そして、みずほさんが実行委員長を務める、リレー・フォー・ライフというがん患者が主役のチャリティーイベントに参加することになったのです。
それまでは、がん患者として見られるなんて、とんでもないことだと思っていました。それなのに、人目を避けていた私が突然不特定多数のまなざしを自ら受けるところに立とうとは・・・。(自分でもびっくり!)
7年という長い間、ずーっと人に言わずにきたこと、そのまま言わなくてもいいんじゃないかとも思ったのですが、新たなステージをどこかに求めていたのでしょうね。
本を出版し、イベントに参加することで、色々なことに気がつきました。
(小さいけど)大きな気づき、ベストスリー★★★
★第1位★
自分を苦しめていたのは自分だった!
かわいそうというまなざしで見られているんじゃないか、と思うこと自体、私ががん患者をそう見ていたということ!なーんだ、自分を苦しめていた視線というのは他人じゃなくて、自分自身だったのかー。そっかー!と思ったとたん楽になりました(^^)
★第2位★
自分自身から距離を置ける
これはどういうことかというと、個人的な悩み相談とかではなく、公の場で苦しみを語ることで、自分自身からその負の感情を切り離すことができるということ。悩みがあったら、それを書き留めるといい、とよく言いますよね。それと似ていて、自分から感情を切り離す儀式なのかな、と思いました。
★第3位★
非日常の場面だと、日常で言えないことも言えちゃう!
たかがイベント、されどイベントです。リレー・フォー・ライフでサバイバー(がん経験者)として体験を包み隠さず語りました。イベントという時間的にも空間的にも限られた場だからこそ、それができたのだと思います。
本の出版も非日常です。誰に読まれるかわからないのに、あんなことやこんなことまで書けちゃうなんて・・・。なぜでしょう?
終活するとしたら、日記なんて真っ先に処分すると思うのに。
日記は書かない(続かない)ので、あとから発見される心配もないですが・・・(苦笑)
「見られる」ということ、それは、「見られる」ということから逃げ隠れしていた時間があったからこそ、私にとって意味のあることだったんじゃないか、とも思ってます。
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最後に宣伝です。
「“がん”のち、晴れ」おかげさまで第4刷。多くの方に読んでいただいています。がんになった方へのお見舞いや、がんになった方が治療のお守りにして下さっているということをお聞きする度、間接的に誰かの心に寄り添えているのかな、と思うと生きる勇気が湧いてきます。ありがとうございます。まだ、読んだことのない方は是非!Amazonでポチっ!
リレー・フォー・ライフ・ジャパン・にいがた2017は今年も伊勢みずほさんを実行委員長に8月頃開催予定です。
去年、一昨年の様子はこちら!
がんの方もがんじゃない方も、みんなであたたかな時間を一緒に過ごしましょう!
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