新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

「見られる」ということについて<その2>


「見られる」ことは大事・・・。

でも、日常的にいつも人にジロジロ見られるのは、ちょっとイヤですよね。

それは、自分が見られたくない部分に注目されていると思うからかもしれません。たとえ、そうでなかったとしても、コソコソと陰から見られるのは、あまり気持ちの良いものではありません。

私は大学で教員をしていますが、毎年新たに出会う学生の数は、おそらく1000名を超すでしょう。100名前後ならまだしも、これくらいの数になると覚えるのはもう無理・・・なのですが、私が覚えていなくても、学生の方は私を知っています。

ショッピングモールに買い物に出かけると、なんとなく、視線を感じるのです。そして、数日後に大学で「この前○○で買い物してましたよね」と言われると、どうもきまりが悪いのです(;´・ω・)

買おうか買うまいか悩んでウロウロしているところを見られたんじゃないか、とか、特売品をガン見していたところを目撃されたか・・・とか(笑)

だったら、その場で「こんにちは!○○大学の○○です!何買ったんですか?」とストレートに聞いてくれた方がずっと気持ちがいい。

 

・・・・・・ちょっと脱線しました(^^ゞ

話をもとに戻すと、人に見られるということが、日常ではなく、非日常の場だったら、ちょっと違うが起きるんじゃないかな?と思うのです。

それを確信したのが、先日年末に録画してあったNHK Eテレの番組「バリバラ」の特集を見ていた時のこと。

障がいのある人、生きづらさを抱えるマイノリティの人たちがモデルとなったファッションショー「バリコレ2016」のアフタートーク。(2016年12月25日放送)

このイベントは「ファッションの力でバリアを打ち壊す!」を合言葉に開催されたものですが、「世間のネガティブなまなざし」というバリアを壊すというより、モデルとして出演した人たちが「自分自身のバリアを壊し」一歩前に進むきっかけになったとのことでした。

たとえば、出演者のひとり、生まれつき肌や髪の色が白く視覚障害のあるアルビノの薮本さんは、普段は周りの視線を苦痛に感じていたけれども、視線を注がれるショーという場に出たことによって、自分自身、アルビノであることの捉え方が変わったと言います。最初は白い衣装に対して否定的だった薮本さんでしたが、「自分の白さをいかした白い衣装を次は着てみたい」と考えが変わったのだそうです。

 

イベントという「非日常の場」だからこそ、意味がある・・・

他者に対してというより、自分自身に対して意味がある・・・

私自身の経験からもそんなことを(ちょっと)確信しました。

そのことについては、次回で(^o^)丿


About the author

五十嵐 紀子

未来の介護福祉士が現場実習で学んだこと、教室で学んでいることのあれこれを、コミュニケーション研究者がつづります。介護の世界は驚き・感動・発見もりだくさんのワンダーランド。介護におけるコミュニケーションの難しさとおもしろさ、介護職のカッコよさを伝えます!