新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017
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「尊厳を守る」ということ


 日本尊厳死協会という団体があります。当時の名称は違ったようですが、設立は1976年と意外と古く、今も少しずつ参加者が増えているようです。これは何よりも、国民一人一人の権利意識の向上や自分の人生のあり方を自分自身でしっかりコントロールしたい、という個人意識の強まり、ということがあると思います。そのこと自体は良いことと思えるし、そういう意識のあり方を否定するものではありません。

 ところで改めて「尊厳」とはどういうことでしょう?実はよく上がる話題?とも言えるのですが。尊厳という言葉を字引的に調べてみると、ある説明では以下のようになっています。

すべての個人が人間として有する人格を不可侵のものとし、これを相互に尊重する原理をいう。

 ここで注目したいのは、「相互に尊重する」という部分です。尊厳とは自分自身が自尊心を保てている状態であり、自分自身が自尊心を保てるかどうか?は、他者の自分自身に対する態度、他者が自分自身にどういう態度で臨み(言葉は悪いですが)他者が自分自身をどう扱っているのか?という面が大きいと思います。つまり、尊厳とは「他者との関係において他者が守ってくれる」という側面があります。

 もちろん、それが全てではありません。他者からどんなに理不尽な扱いを受けても矜持を失わず、凛とした態度でいる方は、自分自身の尊厳をできる限り自分自身で守っている状況といえます。しかし、そのためにはかなり強固な自我が必要とされるでしょう。

 では、要介護状態のお年寄りや寝たきりの方々にとっての尊厳とはどういうこととなるでしょうか?これらの方々は一般に「弱者」と呼ばれます。「弱者」という言葉を使うこと自体、ノーマライゼーションの理念からするといかがなものか?とは思いますが、これらの方々は様々な面で「弱い」立場に置かれがちなことも否定できません。すっ飛ばして結論を書きますが、そういう方々の「尊厳」は、文字通り「他者が守る」『我々が守る』という事です。

 この辺の問題について、筆者はもう20年も前に忘れがたいご家族様の言葉を聞いたことがあります。高齢の寝たきりのお母さまを介護している息子さんの言葉ですが、

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ごみ?尊い仏さま?


 

 このような(寝たきりの姿で)生き続けることに意味があるんだろうか?と悩んでもいましたが、ふと見ると、枕もとにお母さまが長年大事にしていた小さな木像の仏像が置いてある。その時、「なるほど」と思ったと。
つまりその小さな仏像は、実はただの薄汚れた木っ端切れに過ぎない、だけどお母さまが長年大事にしていたそのものだからこそ、尊い仏様なんだと。目の前の寝たきりになった母親も、自分自身が感謝の心を忘れずに精一杯(できる範囲で)大切に思い接する限りは、母の命は尊いものなんだ、と納得がいきました。


 

 我々職業者は、ご家族様の立場ではありませんからこの息子さんとまったく同じ心情で個々の高齢者さまに臨むことはできないです、何せ「家族」ではないですからね。でもだからこそ、そういうご家族を大切に思う気持ちをきちんと具体的な形として実現することが、我々職業者の役割だと思うわけです。それは、寝たきりになり褥瘡だらけ拘縮だらけの姿で複数のチューブにつながれて生かされている、ということではなくて、寝たきりであっても穏やかな身体状況で、褥瘡拘縮もなく栄養状態も極めて良い、という状況であること。そういう状況を実現する事こそが、ご家族がご家族を大切に思う気持ちを具現化する、ということだと思います。ついでに不謹慎ながら書くと、それは「生き仏様」になっていただくようなものだ、とも思います。

 改めて書きます。尊厳死協会への登録参加をする人が増えている、そのことは否定できませんが、それはその方々が(2回目で書いた)「意識もなく生き続けても仕方ない」というだけではなくて、今の医療・介護の現状を見た上で『あんな姿になってあんな扱いをされるのならば、生き永らえる必要はない』と考えてのことならば、極めて残念なことだと思います。我々の仕事の結果、「重度障害状態になっても、ああいう姿を保ててあんなふうに扱ってもらえるなら、」つまり「尊厳を守ってもらえるのならば、」と感じて尊厳死協会に参加する人が減ってくれたら、本望ですね。


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