新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017
神体

日本が先駆けて取り組む課題


 前回は、欧米では“寝たきり老人が少ない理由”をまとめてみました。日本も最近はずいぶんと欧米化してきたなぁ、とは思いますが、まだまだ日本は独自だよなぁ、と思う面は多いです。

 例えば臓器移植問題、欧米では子供も含めて当たり前に行われています。日本は違いますね。欧米と日本では“ご遺体”に関する感覚が違うようです。「いざとなったら自分の臓器は提供しても良いけど、家族の臓器は提供したくない。」あるいは「自分や家族が必要になったら臓器提供受けたいけど、自分や家族が臓器提供するのはちょっと、」といった感覚は、自分自身の信条はさておいても「日本人の感覚」としては多くの方が理解できるところではないでしょうか?

 つまり、日本人にとってはご遺体はただの肉の塊ではないし、意識のない寝たきりであってもそこに人としての存在をしっかり感じる、ということです。日本は、石ころにでもトイレにも神様の存在を感じる八百万神の国ですからね。土の塊に神様が息を吹き込んで生まれたのが人間、したがって魂が抜けてしまえば残りは土の塊、というのがユダヤ教~キリスト教ですね。絶対神との関係において人の存在意義を見出すのが欧米、ただあるだけの意義を見出すのが特に東アジアの精神と言えそうです。

神体みんな「神さま」

医療福祉の事を考える際には、こういった根本の文化の違いを踏まえることが必要だと思います。

 ところが、前回紹介した高口さんの北欧レポートにもあるように、延命処置を余裕をもって行える国は多くはありません。今のところ、寝たきり老人がたくさん?いる国は、世界の中で日本だけのような気がします。

 ここではっきりと申し上げておきますが、私自身は寝たきり老人はゼロになるべき!とは考えてはいません。それこそ、意識のない状態で生き永らえても仕方ない、という価値観は尊重しないといけませんが、同時に意識のない寝たきり状態であっても少しでも長く生きてほしい、という価値観も尊重したいと思います。ただし、それであっても第1回目に書いた「寝たきりであっても褥瘡や拘縮のない、穏やかな状態で」というのが、大前提です。

 でも、そのモデルを他所(海外)に求めてもダメだと思っています。重度な障害状態にある方に対する「ケアの技術」の面でのモデルはあると思います。しかし、より大きく「寝たきりであることを容認する文化において、より多数の寝たきりさんに良質なケアを提供していく社会システム」のモデルは無い、と思います。私たちがこの国の現場で、私たち自身で作り上げていかなければいけないものだと思っています。

 そしてそれは、やがて経済力を付けてくるアジア諸国の方々へも、北欧モデルとは異なる高齢者ケアのあり方として、参考にしてもらえるものになるはず、と考えています。


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