新潟の介護がよくわかる 総合ガイド2017

素直に


「素直に」

同じような話になりますが

利用者さんの本当の楽しみや目的って

いったい何だろうか?と施設を見ていて

スタッフに問いかけたくなります。

塗り絵、計算問題、漢字穴埋めがテーブルに

おいてあり、自ら手に取りしている姿。

「自分でやりたい方がとってくれます」

説明だけ聞いていたらそれはそうなんです。

ただ、それは午前中のお風呂によるフロア

スタッフの少なさから生まれたものであり

自主的というより「仕方なさ」から生まれた

行動のように感じます。

テレビはつけっぱなし、スタッフは何もせず。

結局何にもしないわけにはいかないから

それらを置いている、それしか選択肢が

ないから仕方なくしているようにしか見えず

自主性の捉え方の違いに驚きます。

ラジオ体操や◯◯体操が何回かやっているが

個別ケアとして考える内容はなく、これで

利用者の課題がクリア出来るとは到底思えない

内容。総合的に見たときに感じた違和感は

「スタッフが考えて行う内容がない」

ということでした。

体操は動画。紙媒体は印刷するだけ。

合間にするゲームは時間潰し。とにかく

みんなまとめてやる。

足りないはずのスタッフがしりとりゲームを

するときには司会以外に3人が周りに立ち、

見張るように参加する異様な光景。

人が余っているのになあと思ってしまう。

これらを指摘していくと最初に言われるのが

「利用者さんは喜んでくれてます」

「◯◯をやりたいと進んでしてくれます」

と説明されるのです。

なのでこちらから続けて話すのは、

「他に選択肢が色々あって例えばパン作り、

寄せ植え、水彩画、料理教室などがあり、

それでも塗り絵やちぎり絵を皆が選ぶと

思いますか?」

と問いかけます。すると言われるのは、

「そんなに選択肢を出すことは難しい」

「それをやるには人が沢山必要です」

このように言われる事が多いのです。

出来る、出来ないを問おているのではなく

選択肢の話、それが刷り変わっていく。

これが素直に話を聞こうとするよりも

そんな選択肢が出せるわけがないという

個人的な考えが先行する結果として出てくる

受け答えだということなのです。

そしてこのように応える方の多くは

「やったことがない」

です。つまり自分の推測で話をするのです。

しかしそれは実践をしてきている人から

したら、やりたくない言い訳にしか聞こえ

ないのです。

利用者さんの気持ちになって素直に考えて

みたら自分の推測で応える事などないはず

ですね。出来る、出来ないよりも、、、

人は感情があるから時には素直になるのが

難しいことがあります。

ただ介護サービスが誰のために、どのように

なるために使われるものなのか?を理解

していれば、答えはわかるはずですね。

利用者のためというのだから素直な気持ちで

サービスを見直してあるべき姿に気づいて

ほしいなあと思います。

イメージ.png


About the author

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です