朝のユニット。
テレビが利用者さんを見ているかのように
全ての利用者さんがテレビが見えるように
テレビと向き合っている利用者さんらがいる。
せっかく人がいるのに
人と人が話しやすく誘導するのではなく
テレビに相手をさせようとするのは
何故だろう?
人が少ない、時間がない、やることがある
そんな理由が間違っているとまでは
言わないけれど
人と人が話せるかも、と思えるような誘導を
してほしいと思います。
隣り合わせにしても話とか出来ないし、
認知症だから話が支離滅裂なんです、
何かあったら困ります、大変ですから、
どれだけの権限があるのかなと考えてしまう。
なぜやってみる前に答えを出せるのかが不思議。
何かあったら困ると言うのは、
自らのケアに限界を認めているからであり、
自らが考える事をあきらめた証拠
目の前の利用者さんに○○になってほしい!
というビジョンすら持っていないスタッフに
果たしてどんなケアとサービスが提供できる
のだろうかと思う。
あきらめたままケアにかかわるというのは
余計な事を考えず決まった事を決まった時間に
こなして、1日を事故なく済めば良しみたいな
やり方になっていくはずです。
人はどんな状態になっても出来ることがある
のだと思います。
作業が出来る人がすごいのではなく、
それぞれが持つ力を様々な形で表すこと。
それを表すためにスタッフさんらの役割が
あるんだということ。
それをキチンと観て引き出す事の出来るケアを
実践出来るように考えてほしい。
テレビを見せるなとは言わないけれど、
安易にテレビテレビとスイッチを入れるのを
ルーチンワークに組み込む前に考えてほしい。
この人が今何を思い、何を考えているのかを!
それをキチンと考えていけば、安易にテレビに
介護をさせようという発想は少なくなるのだと
信じたい。
人と人とのかかわりから1人1人の
「出来ること」
をちょっとだけ見つめてほしい。
放浪後の一言:出来ることを一緒に考える事からが仕事