それぞれの地域で思いのある方が地域が必要と
する事を形にするそのやり方にはきっと
定義付けは必要ないんじゃないかなと思います
世間では○○型とか○○式のように設定と
いう入れ物にやり方をつめてパッケージする
事でブランド感を出すように見えます
その良し悪しはおいといて。
パッケージをすると人はそれを基準に形に
色々と言われるのですが、関係ない人間から
それを見ていたら、そもそもパッケージその
ものはどんな基準なの?かを考えてしまう。
この基準はそのパッケージを認める方だから
当然、他のパッケージが更に良くてもその
良さに気づかずに、悪い部分を見つけて、
自分の信用するパッケージを正当化するように
見えてしまいます。
地域の方やそこを利用する方にとって、必要な
ものであればよほど質の低下がない限りは、
比較的に見る必要はないのだろうと思うし、
○○型や○○式とブランド化する必要なんて
ないのでは?と思います。
それよりもどこの地域のニーズにもある程度
使えたり、参考になるベーシックなものを
広げていけば全体が良くなるのだと思います。
型に頼るのは、こだわりの有る無しからだと
思いますし、芯と言われる考え方が弱いほど
人はカリスマに流されるのだと思います。
人は誰しも間違いをします。カリスマもそう。
だから、カリスマの間違いに気付いた時に、
間違いだとキチンと言えるのが本当で、
間違いだと言えないで間違いに同調するのは
本当にその方を思っていない人だと。
まだまだですが常に謙虚で控えめな存在で
ありたいと思います。
放浪後の一言:人間は神様じゃない